馬橋稲荷神社氏子青年会

年表

年  月

できごと

世の中の動き

大正11年(1922)

上野で東京平和博覧会が開催される(3月10日~7月31日) この博覧会に現在馬橋稲荷神社にある宮神輿が出品されており、見物にいった馬橋の住人が、購入した。

東京平和博覧会のシンボル

首相:高橋是清
芥川龍之介『トロッコ』

杉並町に電燈がつく

馬橋中央通り開通

阿佐ヶ谷駅開業

大正12年(1923)

青梅街道付近を行く神輿

牛車に引かれ宮神輿が馬橋の郷にやって来る(8月29日) 3日後に関東大震災が起こり、都心は灰燼に。宮神輿は間一髪で消失を逃れるも、9月に予定されていた神幸祭は翌年に延期。

関東大震災(9月1日)

井伏鱒二『山椒魚』

大正13年(1924)

馬橋初めての宮神輿、例大祭神幸祭
馬橋青年団二十七人衆

昭和20年(1945)
杉並地域にも空襲で全域に焼夷弾が落とされ、杉並第六小学校は消失。馬橋稲荷神社は住民の必死の消火活動により難を逃れ、お陰で神社以西は類焼を免れる。(5月23日)

東京大空襲(3月10日)

原爆投下

終戦

首相:吉田茂

昭和27年(1952)

戦後、初めての宮神輿、例大祭神幸祭

この頃、馬橋3丁目西氏子会の青年による「親和会」結成

首相:吉田茂

日本国憲法公布

白井義男が日本人で初のボクシング世界チャンピオンに

昭和29年(1954)

阿佐ヶ谷“七夕祭”始まる

首相:鳩山一郎

昭和32年(1957)

高円寺“阿波踊り”始まる

例大祭神幸祭・・以降、26年間、宮神輿が出ることはなかった。

首相:岸信介

ソ連が人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功)